焼きまんじゅう焼き係長
イギリス滞在記、にあんまなってない。留学アレコレ・雑談アレコレ
Ads by Google
新しい記事を書く事で広告が消せます。
| BACK TO TOP |
倶楽部はいつまでも倶楽部なのですわ
久しぶりの更新なのに、予定していた修論でもなく、
ましてや旅行でもイギリスでもないことを書くことになるなんて。
しかしですね。
私の、この、むずがゆい驚愕と悲しみとドキドキを、
何かの形で吐き出さねば、眠れんのですよ。
KAT−TUN赤西仁主演(弥勒)で有閑倶楽部だって。
ひ、ひ、ひぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!
かかか、勘弁して。。。。
有閑倶楽部のドラマ化なんて・・・・
全て終わった後であれば、イロモノとして見れるものを、
10月放送ということは、私はこれをリアルタイムで鑑賞する羽目になるのか。。。。
有閑倶楽部は、私の漫画人生の始まりをつくった大切な漫画の1つ。
それにしても偶然というのは恐ろしいもので、
つい最近、友人に一方的に
有閑倶楽部の素晴らしさを語ったばっかりだったのに、
こんな形で有閑倶楽部がメディアに取り上げられることになるなんて。
ちなみに私はこの赤西という人の顔を知らないのだが、
もはや怖くて画像が探せませぬ。
つーか、よくも有閑倶楽部を実写にしようとしたね。
日テレも豪気なことするなあ。こうなったら
漂流教室くらい大胆にドラマ化しちゃってくれれば、
何も言えないし言わないんだけどな・・・
3次元の野梨子が「困った時の有閑倶楽部ですわ」とか、
3次元の清四郎が「フムッ!」とか言うのか・・・・
むずがゆすぎるよ、姉さん。。。。
ましてや旅行でもイギリスでもないことを書くことになるなんて。
しかしですね。
私の、この、むずがゆい驚愕と悲しみとドキドキを、
何かの形で吐き出さねば、眠れんのですよ。
KAT−TUN赤西仁主演(弥勒)で有閑倶楽部だって。
ひ、ひ、ひぃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!
かかか、勘弁して。。。。
有閑倶楽部のドラマ化なんて・・・・
全て終わった後であれば、イロモノとして見れるものを、
10月放送ということは、私はこれをリアルタイムで鑑賞する羽目になるのか。。。。
有閑倶楽部は、私の漫画人生の始まりをつくった大切な漫画の1つ。
それにしても偶然というのは恐ろしいもので、
つい最近、友人に一方的に
有閑倶楽部の素晴らしさを語ったばっかりだったのに、
こんな形で有閑倶楽部がメディアに取り上げられることになるなんて。
ちなみに私はこの赤西という人の顔を知らないのだが、
もはや怖くて画像が探せませぬ。
つーか、よくも有閑倶楽部を実写にしようとしたね。
日テレも豪気なことするなあ。こうなったら
漂流教室くらい大胆にドラマ化しちゃってくれれば、
何も言えないし言わないんだけどな・・・
3次元の野梨子が「困った時の有閑倶楽部ですわ」とか、
3次元の清四郎が「フムッ!」とか言うのか・・・・
むずがゆすぎるよ、姉さん。。。。
しずやしず、それに舶来物 1
若松賤子という人は、余り知られてない人で、
わたしもたーまたま最近知った。
知らなけりゃ今回のトピックにもならなかったけど。
この人は19世紀末に小公子を訳した人で、
それだけを考えると、そうかーとしか思わないんですけどね、
さていざこの人の作品を読むと、
もしかしてすごい人なんじゃないだろうかと考えたりするわけです。
だって明治初期なのに、私でも読めるんだもん。
水村美苗は外国暮らしの私だって樋口一葉は読めたのに、
現代訳がでるなんて、と嘆いていたけど、
実際、一葉の文章を文学的素養のない人が読むのは、
それなりに苦労があると思う。
(つーか私は読んでません。はいよ、ごめんなさい)
しかし若松の訳は読める。
だって子どもの読み物だもん、って思うでしょ。そうなんです。
そこなんですよ。小公子は紛れもなく子どもの読み物です。
原文もそのイロハにしたがって書かれています。
当時、西洋への門が開いたばかりで、
あれやこれやが雪崩をうって入ってきた日本で、
原文の目指すところを察知し、
平易で冷静で一貫した日本語の文章として初めから終わりまで書いたということは、それなりに大変なはずだったということを、
これからちょいちょいまとめます。
赤毛のアンと炬燵と私 3
村岡さん、どうしてばっさり切ったのよ。
それはやっぱり村岡にとっての赤毛のアンは
松本の言うような「少々難解で大人も愉しめる小説」なんかではなく、
少女のための小説であったからじゃないかと思う。
彼女は翻訳者であると同時に、戦後日本の少年・少女教育を憂う知的指導者でもあった(本人もそう自覚していたはずだ)
彼女が憂慮していたのは、当時の少年・少女文学の乏しさである。
出版界は人気があるものだけを繰り返し手を変え品を変え出版し続け、新しい読み物を探そうとしない。
そんな状況を批判する村岡は、初訳主義者だった。
新しいものをじゃんじゃん日本の子どもに紹介したい。
色々な本を読んで欲しい。しかも、私が良いと思ったものを。
そういうスタンスで翻訳作業を行う中で、村岡はきっと
「この部分は少女用の読み物としては別に重要じゃない」と思ったところは、ざっくり切って捨てたりはしょったりしたのだろう。
そういう、大胆な村岡の作業ぶりは、確かに訳者の範疇を超えたものだ。彼女の訳文からは当時の偏った女子教育がにじみ出るところもあるだろう。
まあ、しかし、だ。それを今の価値観でどうこういえるものじゃない。
文学自体が時代を映す鏡であるように、翻訳もまたしかり。
ちなみレフェヴェレという人はそれをもうちょっと複雑なレフレラクション(光の屈折みたいな意味だったかな・・・)という言葉で表わしている。
翻訳はその時代の社会や文化が、ちょっと屈折して映されるのかもしれない。
皮肉にも、赤毛のアンは村岡が批判した出版界の及び腰を地で行くように、飽きずに何度も何度も出版されているが、それもまた日本社会をどういう意味かで映しているのだろう。
最後に、自由に切ってはしょった村岡訳はじゃあ、訳文として魅力があるのかどうか、
個人的意見で言わせてもらえば、今回原文と比べながら再読したが、
純粋に感心した。当たり前だけど、やっぱりあんな効いた訳文を作るには、才能とセンスと技術がなきゃあね。
一般に良い訳文を評して
「翻訳らしくない、美しい日本語に訳してある」と言ったりするけど、
村岡の訳文に関して言えば、日本語らしさと翻訳っぽさが入り混じっているところが私は好きだ。
この「翻訳っぽさ」は一般に嫌がられることが多いけど、
なぜ嫌がられるかといえば、
それは私たちが普段つかう言葉とは距離があるからだ。
洋画の日本語吹き替え版の違和感と似てるか。
その違和感は原文の価値観にあわせた結果だ、として学問的には
これを異化(フォーリナイゼーション)と呼んだりする。
良く考えりゃ洋画の日本語吹き替え版で感じる違和感が
元の価値観に沿った結果かといえば、どうかわかんなくなってきたので、私の例は合っているか不安だ。
異化はなんか嫌われそうな予感だが、この定義づけをした学者さんらは、同化(ドメスティケーション・異化の反対)された、安易に翻訳される側の視点だけで訳された訳文のほうを批判している。
さて同化やら異化ってどういう感じなのかを、
次から違うトピックで整理しようかと思う。
それはやっぱり村岡にとっての赤毛のアンは
松本の言うような「少々難解で大人も愉しめる小説」なんかではなく、
少女のための小説であったからじゃないかと思う。
彼女は翻訳者であると同時に、戦後日本の少年・少女教育を憂う知的指導者でもあった(本人もそう自覚していたはずだ)
彼女が憂慮していたのは、当時の少年・少女文学の乏しさである。
出版界は人気があるものだけを繰り返し手を変え品を変え出版し続け、新しい読み物を探そうとしない。
そんな状況を批判する村岡は、初訳主義者だった。
新しいものをじゃんじゃん日本の子どもに紹介したい。
色々な本を読んで欲しい。しかも、私が良いと思ったものを。
そういうスタンスで翻訳作業を行う中で、村岡はきっと
「この部分は少女用の読み物としては別に重要じゃない」と思ったところは、ざっくり切って捨てたりはしょったりしたのだろう。
そういう、大胆な村岡の作業ぶりは、確かに訳者の範疇を超えたものだ。彼女の訳文からは当時の偏った女子教育がにじみ出るところもあるだろう。
まあ、しかし、だ。それを今の価値観でどうこういえるものじゃない。
文学自体が時代を映す鏡であるように、翻訳もまたしかり。
ちなみレフェヴェレという人はそれをもうちょっと複雑なレフレラクション(光の屈折みたいな意味だったかな・・・)という言葉で表わしている。
翻訳はその時代の社会や文化が、ちょっと屈折して映されるのかもしれない。
皮肉にも、赤毛のアンは村岡が批判した出版界の及び腰を地で行くように、飽きずに何度も何度も出版されているが、それもまた日本社会をどういう意味かで映しているのだろう。
最後に、自由に切ってはしょった村岡訳はじゃあ、訳文として魅力があるのかどうか、
個人的意見で言わせてもらえば、今回原文と比べながら再読したが、
純粋に感心した。当たり前だけど、やっぱりあんな効いた訳文を作るには、才能とセンスと技術がなきゃあね。
一般に良い訳文を評して
「翻訳らしくない、美しい日本語に訳してある」と言ったりするけど、
村岡の訳文に関して言えば、日本語らしさと翻訳っぽさが入り混じっているところが私は好きだ。
この「翻訳っぽさ」は一般に嫌がられることが多いけど、
なぜ嫌がられるかといえば、
それは私たちが普段つかう言葉とは距離があるからだ。
洋画の日本語吹き替え版の違和感と似てるか。
その違和感は原文の価値観にあわせた結果だ、として学問的には
これを異化(フォーリナイゼーション)と呼んだりする。
良く考えりゃ洋画の日本語吹き替え版で感じる違和感が
元の価値観に沿った結果かといえば、どうかわかんなくなってきたので、私の例は合っているか不安だ。
異化はなんか嫌われそうな予感だが、この定義づけをした学者さんらは、同化(ドメスティケーション・異化の反対)された、安易に翻訳される側の視点だけで訳された訳文のほうを批判している。
さて同化やら異化ってどういう感じなのかを、
次から違うトピックで整理しようかと思う。
赤毛のアンと炬燵と私 2
前回の続き。
90年代に入ると、
それまで賞賛一辺倒だった村岡花子訳ににも、声が上がるようになる。
村岡訳の抜け部分に対する指摘は初版出版直後からあったらしいけど、
「名訳」の名声のもとに、四半世紀近く目立った批判はなかった。だから
村岡がなんでこんなに削ってしまったのか探られないまま本人は他界してしまった。
村岡が赤毛のアンを翻訳したとき、赤毛のアンは「女・子供の読むもの」の枠をでず、そしてそういった「女・子供のもの」が正当な検証の対象になることはなかったからだ。
90年代に入って赤毛のアンが再考&再訳されることになった背景は
2つあるといっていい。
1つは原作者に対する研究が深まったこと。
モンゴメリと言う人は、大量の日記や手紙を残していたけど、
それが70年代から80年代にかけて次々に見つかり、彼女への研究が一気に進んだと言うこと
そして2つ目はフェミニズムの浸透だ。
フェミニズム。
この思想を掲げている人には申し訳ない話だが、
はっきり言ってかなり一般の人には嫌われている。
フェミニズムが嫌われていると言うより、
フェミニズムを振りかざす怖いおばさんたちが嫌われているのかもしれないけど。
でもこの思想がアカデミックに及ぼした影響はなかなか計り知れなくて、というより70年代後半から80年代にかけて一種の思想的流行だったんだろうと思うけど、
いろんな学問がフェミニズム的見地から研究されたりした。
翻訳学にももちろんありますです。ここではちょっとそれはおいていおいて、それまで「女・子供」の読み物としてまともに研究されてこなかった少女小説も、フェミニズム的見地からの再読が進んだ。
少女小説の中に隠れた男女不平等を掘り起こそうという考えなわけで、
それは1と別物ではない。
よき妻・よき母であったとされていた原作者モンゴメリの内面が、
日記などを通していかに虚像に過ぎなかったかが明らかになった。
彼女の生涯は、20世紀初頭を生きた女性の姿を伝える貴重なデータとして作品を含め再考されるようになった。
モンゴメリという人は大した人で、出世欲も名声欲もすごくあった。
単なる子供向けの小説家ではなく、純文学の作家として名を馳せたいと願い続け、カナダの田舎にいながらも、こつこつ努力を続けた。
でもそんな自分が、当時の世間では受け入れてもらえないのもわかっていた。
だから自分がそんなことを考えているなんて回りには一切口にしなかった。もう、自己抑制の鑑。
ま、それはいいとしてモンゴメリや赤毛のアンについてフェミニズム的見地からの再考が進むと、その波は日本にもやってくる。というか日本はもっと盛んかも知れない。赤毛のアンの人気は日本の男女不平等の象徴だ!と叫ぶ人もいたりする。それに伴って村岡もフェミニズム的見地から、また「翻訳は原作に忠実に」という考えが浸透したことによって、誤訳や省略について批判を受けるようになった。
村岡訳を真正面から批判したのは、92年に完訳版を訳した松本侑子。
赤毛のアンには大人向けの面白みもある謳ったその訳文の中で、
彼女は赤毛のアンの中にある英文学からの引用、出典を明らかにし、
植物の名前などを忠実に訳した。
松本は雑誌の連載の中で村岡訳がいかに完訳とは程遠いものであるか(子供向けダイジェスト版と定義していた)を詳細に検証しているが、
批判の矛先はその訳文自体というより、そのような不完全版をあたかも完訳かのように何十年も出版し続けた出版業界に向いている。
いずれにせよ、80年代から90年代にかけて、フェミニズム的見地からの少女小説の再読が進まなければ、50年近くにわたって日本の子女に読まれてきた村岡訳と村岡の訳者との姿勢も再考されはしなかっただろう。
では村岡はどういうつもりで原文をばっさり切った訳文を作ったのか。
それはまたあとで。
90年代に入ると、
それまで賞賛一辺倒だった村岡花子訳ににも、声が上がるようになる。
村岡訳の抜け部分に対する指摘は初版出版直後からあったらしいけど、
「名訳」の名声のもとに、四半世紀近く目立った批判はなかった。だから
村岡がなんでこんなに削ってしまったのか探られないまま本人は他界してしまった。
村岡が赤毛のアンを翻訳したとき、赤毛のアンは「女・子供の読むもの」の枠をでず、そしてそういった「女・子供のもの」が正当な検証の対象になることはなかったからだ。
90年代に入って赤毛のアンが再考&再訳されることになった背景は
2つあるといっていい。
1つは原作者に対する研究が深まったこと。
モンゴメリと言う人は、大量の日記や手紙を残していたけど、
それが70年代から80年代にかけて次々に見つかり、彼女への研究が一気に進んだと言うこと
そして2つ目はフェミニズムの浸透だ。
フェミニズム。
この思想を掲げている人には申し訳ない話だが、
はっきり言ってかなり一般の人には嫌われている。
フェミニズムが嫌われていると言うより、
フェミニズムを振りかざす怖いおばさんたちが嫌われているのかもしれないけど。
でもこの思想がアカデミックに及ぼした影響はなかなか計り知れなくて、というより70年代後半から80年代にかけて一種の思想的流行だったんだろうと思うけど、
いろんな学問がフェミニズム的見地から研究されたりした。
翻訳学にももちろんありますです。ここではちょっとそれはおいていおいて、それまで「女・子供」の読み物としてまともに研究されてこなかった少女小説も、フェミニズム的見地からの再読が進んだ。
少女小説の中に隠れた男女不平等を掘り起こそうという考えなわけで、
それは1と別物ではない。
よき妻・よき母であったとされていた原作者モンゴメリの内面が、
日記などを通していかに虚像に過ぎなかったかが明らかになった。
彼女の生涯は、20世紀初頭を生きた女性の姿を伝える貴重なデータとして作品を含め再考されるようになった。
モンゴメリという人は大した人で、出世欲も名声欲もすごくあった。
単なる子供向けの小説家ではなく、純文学の作家として名を馳せたいと願い続け、カナダの田舎にいながらも、こつこつ努力を続けた。
でもそんな自分が、当時の世間では受け入れてもらえないのもわかっていた。
だから自分がそんなことを考えているなんて回りには一切口にしなかった。もう、自己抑制の鑑。
ま、それはいいとしてモンゴメリや赤毛のアンについてフェミニズム的見地からの再考が進むと、その波は日本にもやってくる。というか日本はもっと盛んかも知れない。赤毛のアンの人気は日本の男女不平等の象徴だ!と叫ぶ人もいたりする。それに伴って村岡もフェミニズム的見地から、また「翻訳は原作に忠実に」という考えが浸透したことによって、誤訳や省略について批判を受けるようになった。
村岡訳を真正面から批判したのは、92年に完訳版を訳した松本侑子。
赤毛のアンには大人向けの面白みもある謳ったその訳文の中で、
彼女は赤毛のアンの中にある英文学からの引用、出典を明らかにし、
植物の名前などを忠実に訳した。
松本は雑誌の連載の中で村岡訳がいかに完訳とは程遠いものであるか(子供向けダイジェスト版と定義していた)を詳細に検証しているが、
批判の矛先はその訳文自体というより、そのような不完全版をあたかも完訳かのように何十年も出版し続けた出版業界に向いている。
いずれにせよ、80年代から90年代にかけて、フェミニズム的見地からの少女小説の再読が進まなければ、50年近くにわたって日本の子女に読まれてきた村岡訳と村岡の訳者との姿勢も再考されはしなかっただろう。
では村岡はどういうつもりで原文をばっさり切った訳文を作ったのか。
それはまたあとで。
赤毛のアンと炬燵と私
私がやっていたのは、日本語で言うと翻訳学というものであり、
翻訳を勉強すると思われがちなんですけど、
大雑把に言うと、「翻訳ってなんだろな」と考える学問で、
特にうちのコースは実務系ではないので、
あんまり翻訳することは勉強しなかったのである。
私って何やってたんだろな、を少しまとめとうかと。
だって今既に忘れかけて・・・
いや、もともと覚えて・・・?
あ、でもここに書くのは、私が勝手に思ったことで、
あんまり修論に書いたこととはつながってないですね。
むしろかけなかったことを書くかんじ。
翻訳を勉強すると思われがちなんですけど、
大雑把に言うと、「翻訳ってなんだろな」と考える学問で、
特にうちのコースは実務系ではないので、
あんまり翻訳することは勉強しなかったのである。
私って何やってたんだろな、を少しまとめとうかと。
だって今既に忘れかけて・・・
いや、もともと覚えて・・・?
あ、でもここに書くのは、私が勝手に思ったことで、
あんまり修論に書いたこととはつながってないですね。
むしろかけなかったことを書くかんじ。
| ホーム |


